東洋医学における数字の話その一
東洋医学における数字の話その2
東洋医学における数字の話その3
東洋医学における数字の話その4
東洋医学における数字の話その5(1)
さて、前回は「四」→「五」、「三」→「五」の変遷を見てみましたが、今回は「五行」について少し話をしてみましょう。そうそう、前回の補足で、「四方」から「五行」論ですが、元々行というのは甲骨文字や金文体を見てもらえればわかるのですが、一説には四辻から来ているとも見れます。まぁ、説文解字を見るとどうやら違うみたいですが(笑)、説文解字でも「彳、小步也。亍、步止也」とあるようにこれを解釈すると人が歩いたり、立ち止まったりする場所である辻という風に捉えることもできるかも・・・(曲解)。
閑話休題。
元々、五行は「五材」を元に考えられました。この五材は生活に必要な五つの素材と言う意味です。元々は単純な物質であったものですが、『尚書・洪範』に「一曰水,二曰火,三曰木,四曰金,五曰土。水曰潤下,火曰炎上,木曰曲直,金曰從革,土曰稼穡。潤下作鹹,炎上作苦,曲直作酸,從革作辛,稼穡作甘」とあるように、鄒衍(すうえん)の活躍したこの戦国時代には5つの物質に特徴が示され、より属性をもった要素になったわけです。
その中で、鄒衍がこれらの五属性の相剋関係を示して今の形になりました。
「木は土に克ち、土は水に克ち、水は火に克ち、火は金に克ち、金は木に克つ」
実は特にこの相剋関係が出来たのは五徳終始説によるものです。この五徳終始説とは王朝が変わるときにそれぞれの属性を持った王朝が相剋関係によって成り立つとしており、黒をシンボルカラーとした秦が火徳である周を破る正当な王朝であると述べていたんです。
ということは、この相剋関係、実は政治的な判断が含まれていたりするわけです。なんだってーーー!!
とはいうものの、この相剋関係と後に出てくる相生関係は普遍なものになっていくわけですが、元をたどると面白いですね。
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