先日勉強会で腹診(お腹の状態でその人の身体の状態を知る診察法)の勉強会に参加してきました。

その勉強会の話で近江の多賀神社を拠点にしていた多賀法印流の「邪正一如」という考え方が出てきました。

邪気は神氣そのものなのであまりそれを奪うと患者を殺してしまうよという考え方です。

この「邪正一如(じゃせいいちにょ・じゃしょういちにょ)」は元々仏教用語(特に天台密教や禅宗)で「善悪不二・邪正一如」という言葉から来ています。この多賀法印流は近江の多賀大社を拠点としており、この多賀大社では神宮寺として天台宗のお寺が建立されていることもあり、多賀法印流は天台密教と深いかかわりがあるわけです。

この「邪正一如」という考え方は鍼灸医学とは非常に親和性が高く、邪気と正気という対立構造だけの見方をしているわけでなく、もとは正気だったものが患者の免疫力などの低下により邪気に転じただけで一定の邪気を払えば正気に転じて免疫力の回復と共に元気になるという考え方もするわけです。

もっと言うと多賀法印流では「我かつて病を治す事を知らずとなり。またいわく、病を治せんと思わば、首を切るべし。命は病、病は命となり」という考え方の元、病気という表現の中で甦ろうとする生命の輝きをもっと注視せよと戒めています。

この生命の輝きを見つめてあげる作業。なかなか思っていても治すという意識が勝ってしまって思い通りイメージできませんが、この辺りがとても日本の鍼灸らしい味わいを含んでいるなぁととても好きな表現です。