東洋医学における数字の話その一
東洋医学における数字の話その2
東洋医学における数字の話その3
東洋医学における数字の話その4
東洋医学における数字の話その5(1)
東洋医学における数字の話その5(2)

前回は相剋関係が出来た背景に五徳終始説があるというところまで話しました。では相生関係はどうでしょうか?

この相生関係もやはり五徳終始説が関わっています。秦の時代から少し下って漢王朝の頃、劉歆(りゅうきん)がそれぞれの王朝が徳を禅譲(譲り渡す)することで王朝が変わる説を唱え、これが五行の相生関係として成り立っていきました。

ちなみに漢王朝は元々の相剋による五徳終始説では土徳とされていましたが、劉歆の説が台頭してきたころから火徳として言われるようになりました。火徳になった理由としては、劉歆によると一代や二代で滅んだ王朝は徳がそもそも無かったとして省かれたことで、周王朝が木徳となり、秦は徳なしとなり、漢が火徳になったわけですね。

ここで、この五色と政乱の関係性を少し見てみましょう。この前漢と後漢の間に「新」という王朝がありますが、この時に農民たちが漢の頃が良かったということで眉毛を赤く塗って反乱を起こした赤眉の乱があります。ですので、この頃には漢=火徳として広く認知されていたわけです。

また黄巾の乱ですが、漢(火徳)の次は土徳ということでシンボルカラーとして黄色を使っているわけですね。ちなみに魏や呉も王朝の最初の年号は「黄初」「黄武」として土徳であり、次の王朝はウチだとしているわけですね。ちなみに蜀だけは漢王朝の復権ということで、蜀漢と名乗っていましたので火徳のままなわけです。

もっと時代が下って中華人民共和国、シンボルカラーは赤ですね。これは共産党の赤ですが、実は中華民国が木徳ですので、火徳とも重なり丁度よかったわけす。ですので、もしかしたら法輪功といった黄色をシンボルカラーにしている集団は弾圧されやすいのかもしれません。

もううちょっとだけ続くのじゃ。